(16-02-17投稿 16-00-00更新)
カテゴリ>ネーミング
今更ながらネーミングの
大切さである
40肩
ぎっくり腰
腸捻転
うーん年なんだから
観念しろと言う様な
田舎臭さも漂う
(田舎が大好きです
悪しからず)
勿論これらの病名に関しては
愛情を持った心で
命名されたとは思う
もっと親しみのこもる
向き合えるような
ネーミングは無いものだろうか?
場合によっては
その罹患された方が
劣等感さえ抱きかねない
恐らく最初は
東洋医学若しくは
西洋医学の文献と
首っ引きで命名された事は
想像に難く無い
その後は医師は患者さんを
直す事や研究に
忙しく
患者さんは勿論治すのに
忙しく
名前がヘンだとか
チョット好きになれないんだよね
何て言う隙も
考え浮かべる暇さえ
無かったに違いない
今だから言うが
「目眩」にしても「めまい」に
してもその音の響きだけで
ぐるぐると頭の中が
回転し始める
そして奈落の闇の底へ
ぐるぐると回りながら
落ちて
決してもう戻れない気さえ
して来るのだ
コレは経験者にしか
分かるまい
気の弱い方だと
もう自分の人生は
終わった
the endだと
思うかも知れない
「ちょいクラ」
世の医学博士から
顰蹙(ひんしゅく)を買いそうであるが
私はそう呼んでいる
なんだそんな事かと
思ってしまうが
物事は考えれば良い事と
考えてもどうしようもない事があり
病気に関しては後者である
自然災害と同じで
当然起こるべくして起こった事
未然に防ぐ事も出来たかも
知れないが
万物は
バランスをとって
落とし所を探している
一昔前の常識で言えば
60-65歳と言えば
「亡くなって」おかしくない
年齢である
「どこか一部」が
いや
「あちこち」が壊れても
おかしいとは
思わない方が無難と
言うものだ
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