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2015年12月20日日曜日

60歳の痩身日記 信じること

(15-12-20投稿  15-10-00更新)
検索ワードとしては
かなり低いもの
連発している

しかも
当たり前の事しか
書いてない

啓蒙
念ずる
気づき
成長
願い
祈り
感謝
信頼
本質
意識
想像
創造
イメージ
などなど

今日気がついたのは
「人は悩んだだけで
自分自身の胃に穴を
開けることだって
出来る」

思っただけで
全てが実現してしまうのは
嬉しい半面
不都合も多いだろう

だが
意図して
「山を動かす事だって
雨を降らさせる事だって」
出来るのだ

我々の身体も
他の物体も全て
素粒子が振動しているに
過ぎない

因みに
先日
奥田民生さんのライブを
jwaveで流していたが
彼の出番になると
周りが雨なのに
そこだけ止んでいたそうだ

人生の多くの物事を
自分の思いを乗せて
運ぶことは可能なのだ

自分の身の回りに
起こる事を
年齢のせいに
するのは簡単だろう

それは
「当たり前だから」と
納得は出来ないが
諦められるのだ

しかも
他人からも
「あの人は年だから
仕方ない」と思われて 

益々肩を落とし
背中を丸める
トボトボと歩く様に
なる

そうすると
哀れみを受け
時として
哀れみを受ける事が
快感とすらなる

実は
意識が
「本当の自分の年齢を決める」
と思う

一昔前なら
60歳や65歳で
亡くなって当たり前だった

それが証拠に
その時代の保険は
60-65歳で
終わってしまう

今もそれくらいが
寿命だと思って居られる方も
いる

逆に2030代で
お金を稼いで
早く仕事から
引退して
悠々自適で
暮らしたいと言う若者も多い

それはそれで
問題だが(そう言う考えもある
次のステップに速く移れば
良いのだ)

私の様に
120-130歳まで
生きて当たりと
いう考えも有る

そのつもりで
生きて行くのと
前者では
何が違うか?というと

意識なのだと思う

マラソンで「10kmしか走れないと
思っていたら42.195kmは走れない」ので
それと同じ事だろう

物事の数値は
あくまでも
便宜上のモノでしかない

私(自分自身)は
私を活かしきるために
生まれてきたのに

社会という
枠組みの中に
全てを組み込んでは
いけないと思う

ルールを守って
魂を心を遊ばせるのだ

幸せを
楽しい事を
出来る事を
数えて過ごす事

「物事を進め達成するためには
成功体験を積み重ねて
行く事」とは
よく言われるが

どんなに成功した人でも
成功した以上の失敗を
重ねているし

成功する事を信じて
邁進する事

無くした
(使った)お金や時間を
カウントしても
なんのメリットも無い
つまり年齢(歳をとったことだけ
嘆く)カウントする事も然り

成功する事をイメージして
絵描き続けて

どんな進歩でも
感謝して
進み続けていれば
絶対に辿りつける

歩みの鈍い亀でも
途中で昼寝したウサギでも
構わない

我が道は行かねばならない


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