(16-09-25投稿)
人と人が相容れない事は
散々書いているが
人は
「1秒間に60万冊分の書籍に
匹敵する情報を受け取れる」
それを
人は自分の好みや
優先順位
生まれ育ち
習慣
性別
派閥
考え方や感じ方などで
1秒間に60万冊分の
情報が入って来る中の
1つを
「選択して行く」
個々人は
その選択を経験として積み重ねて
パーソナリティを形成する
結果的に
人と人の意見が違うのは
当たり前で
同じモノを見ていても
同じ色形と捉えて
同じ感触を得ると
考えのは楽観的過ぎる
そこから想起される
イメージや考えが
全く違う事が
当たり前で
同じだったらラッキーかも知れない
そこを忘れてしまうと
とんでも無い事に
なりかねない
このブログの
「表現者」でも書いたが
夫婦や親子
又は兄弟であろうと
何であろうと
例えば
言葉を伝える時には
「相手に食べ易い」様に
アレンジする必要がある
例え一卵性双生児でもだ!
以前に書いたが
私の家族間では
メールで重要な事や
深刻な話はしないに
している
朝書いたモノと
夜書いたモノでは
(同じ内容でも)
違う経験は誰にでも
あるだろう
つまり
どんなに真剣に
書き残したとしても
その時
「演じている」自分に
気が付かなかったり
例え
冷静に書いても
言葉のニアンスが
書いて伝たわる場合と
電話や携帯で話す場合
そして
直接面と向かって
話す場合と
全く違う
特に
好き嫌いや主義主張を
メールや電話で話して
どうなるか?
同調している場合は
まだしも
「違う」事が分かる
だけでなく
仲違い必須なのだ
玉子を嫌いな人は
いないだろうと
思っても
アレルギーがあれば
好き嫌いの問題では
無くなる
茹でて半熟が好きなのか
しっかり硬い方か
目玉焼きはダメだが
だし巻き玉子は好き
かも知れない
更に
味付けは塩か胡椒か
醤油かソースか
マヨネーズか
私の様に
納豆に生卵が絡んだ
濃厚な味が良いと
言う方もいるかも
知れない
まあ
細々とした好み選択の
問題を気にしていたら
家族だって
小さな会社でさえ
まとまらない
当たり前だが
「繁栄」やら「貢献」やら
スローガンを基に
統一を図るしかない
ルールを作って
転がすしかないのだ
野生動物の様に
海を回遊する魚のように
足並み揃える事は
可能なはずである
お互いを認め合い
違って当然というところから
始めないと
(1299)
始めないと
(1299)
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