(17-01-25投稿)
私自身どちらかと言えば
楽観的
しかも怒りにまかせて
感情を爆発させる事が
無くなった
ある意味
達観?した思っているが
迷いがあるうちは
悟り切ったとは言いがたい
けれど
☆
会社でも
30代のバリバリの営業マンが
お客様に「キレそうになった」と
聞く事は多い
何らかの商品を売る仕事であれば
断られるのが当たり前
例えば
100人に1人等の割合いで
売れると言うデータが
あったとしても
そうそう上手く行くとは
限らない
☆
私も駆け出しの営業マンでは
ある
奮起する事や
自身を鼓舞するには
「怒り」のエネルギーが
必要だが
話が上手く進んで
いたのに「断られ」
その度毎に
デスクを思いっきり手で
叩いて「怒り」を露わにする
何度も見てきた
☆
人はそもそも相入れないモノ
この世で自由になるのは自分の
考え方だけ
つまり割り切りや
気持ちの切り替えが必要なのだ
☆
「怒り」などの感情が
交感神経の作用で
アドレナリンが血圧や血糖値
心拍数を押し上げることに
より左右されてしまう
思えば
お坊さんや僧侶の方が
断食をされたり
粗食に勤しみ
規則正しい生活を
重んじるのは
悟りに至る前の
当然の下地(ベース)とも
言うべきことなのだ
⭐︎
「怒り」と言う言葉を
思い浮かべると
なぜか北朝鮮の核のボタンを
連想してしまう
自分の思い通りにいかないと
核のボタンを
怒りに任せて押して
全世界も自分も
この世から消えてしまう
そんなイメージだ
「怒り」のエネルギーは
人の原動力の一つだが
それを爆発させた時
どうなるか
その瞬間
自分は見境がつかなく
コントロール不能な状態
もちろん周りの人に対してでも
特定の人に向けた
怒りでも
この世から居なくなった
状態では無いか?
その怒りが収まるまでは
血圧や血糖値や心拍数が
急上昇して
体を痛めつけたことも
精神的に疲弊したことも
また
相手が悲しみにくれた
事なども
何も思いやる事は出来ない
一瞬にして
訪れる「無の世界」である
つまり
何も生み出しはしない
マイナスならそこから
何か導き出せるだろう
無は無である
唯一の利点は
それを繰り返して
特別な修行を積まなくとも
悟りに至る・・・
かも知れない
怒りは悟りの
反対語かも知れない
☆
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